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自分軸で生きる│人生を選択する自由と責任を持つ生き方

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無自覚に他人の価値基準で生きている人が多い。

どんなに自分の価値だと信じていても、突き詰めて考えていくと、思考や行動は他者の目線で考えたものになっている。

そのような人の日々の生活は我慢ばかりになっている。

行動はすべて他者への配慮を優先したもので埋め尽くされている。

 

一体、誰の人生を生きているのだろうか。

自分の人生は一度しかなく、自分のために生きるべきなのに、現実にはそれができていない人があまりに多い。

正しい目標設定のためには、思考の中心に「自分」を配置する必要がある。

利他的になっていると目標や、利他的になっている思考を見直そう。

他人に尽くすだけの人生なんて、さっさと終わらせよう。

 

自分軸と他人軸

各個人によって思考の方針は異なるが、その思考の方針がその人の行動を決定する。

この思考の方針軸に「自分」を置く人と、そうでない人がいる。

 

自分の中心軸に「自分」を置く人は、自分の価値観を大切にする。

一方、自分の中心軸に「自分以外」を置く人は、自分の持つ価値観を放棄し、

他者からの評価や社会の常識といった自分以外のものに迎合することを重要視する。

自分軸傾向が強い場合、自己中心的、利己的な傾向があり、自己の利益を追求しすぎる姿勢は、周囲との調和を乱す。

他人軸傾向が強い場合、無私、滅私、利他的な傾向があり、他者への配慮を追究しすぎる姿勢は、我慢が多くストレスを抱えやすい。

 

・バランス

実際には、完全なる自分軸の人も完全なる他人軸の人もいない。

しかしどちらかに偏りすぎる人は、社会的に悪影響を及ぼす。

どちらがいいかではなく、バランスが大事である。

自分優位か他者優位かどちらを選択するのかは、その人の生きるポリシーによる。

ただし、他人軸の傾向が強すぎる場合、あるべき目標設定に障害が出る。

なぜなら、それは自分のための目標設定になっていないからだ。

●参考リンク:悩みのない人生を送るために大切なたった1つの真理

 

自分軸喪失の特徴

他人軸の人は、自分の思考の中心軸に自分を置いていない。

自分の価値観ではなく、他人の価値観、社会の常識を優先している。

このため、思考の方針は、他者への配慮や常識、一般論に合わせたものになる。

つまり、自分の価値観や意見、思いや願いといったものが一切反映されない。

その結果として起こす行動は、自分のための行動ではない。

また、厄介なことに思考や感情の軸が自分でないことの悪影響に無自覚である。

このため様々な影響が出る。

 

・他人軸の影響① 思考面への影響

他者への配慮が最優先事項である。

迷惑をかけない、機嫌を取る、常識にならうことが思考の方針になっている。

彼らの主張する意見の特徴として、主語が「自分」ではないことも特徴的である。

○○のため、○○の指示に従う、常識的に考えて○○するべき、といった具合だ。

価値の基準も放棄している。

世間が認める価値が自分の価値観である。また、自分自身の評価も他者に預けている。

他人にどう思われるか、他人にどう評価されるか、を常に心配している。

 

一方、沸き上がる自分の意志は封じ込めるべきものである、という考え方である。

滅私奉公や自己犠牲を率先して行う。それに価値を感じている。

このような思考の習慣に慣れてしまった結果、「自分のことが分からない。」「自分が何をしたいのか、どうしたいのかも分からない。」という本来あり得ない状態を生む。

ただし、稀に自分の意志が発揮される瞬間もある。

誰もいない空間においてのみ、自由意志が発揮され行動ものびのびとする。

誰にも迷惑をかける心配がないからだ。

 

・他人軸の影響② 感情面への影響

思考が他者への配慮を優先するため、自分の感情を押し殺す場面ばかりになる。

我慢する機会が多く、慣れてしまい、不満や喪失感を抱えるが、そういった感覚がマヒしてしまっている。

マヒしてしまった結果、以下のような感覚を覚える。

 

・喪失感や空虚感

自分の意志で何かを得るという経験が少ないため、人生に充足感が乏しい。

自分の意見を放棄し続けているため、自分の存在があるのか疑問に感じてしまう。

このため、自分の中心に穴が開いた感覚がある。

人生は壮大なドラマであり自分はその演者のような不思議な感覚を覚える。

 

・常時不安

自分の価値基準の放棄により、価値の評価は外部の価値基準に合わせることになる。

すると、自分の価値についても、他者から評価されたときのみ認識できる。

つまり、自分の存在意義は他者によって容認された時だけ感じることができる。

しかし、現実には他者から存在意義を容認される事態は多くない。

このため、常に自分の存在意義について不安を抱えている。

 

・生きづらさ

自分の意志が相手の要求にこたえることや常識に従うことにすり替わっている

常に自分の意見を主張せず、本音を押し殺している。

つまり、自覚的な自分の意志と、潜在的な自分の本音が乖離している。

だから我慢や矛盾を抱えている。だから生きづらい。

アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものだ。これでは自分の人生を切り開けない。

 

・承認欲求不満

承認欲求とは、自分の存在を認めてもらいたいという人間の根本的な欲求である。

人々は無意識に承認されることを期待している。

しかし、やりたいことや言いたいことがあっても、自分の主張を押し殺す。

このような自粛をしてばかりでは、他者から見て、一体その人がどう思っているのか何を考えているのか、を理解する判断材料がない。

結果として、他者からわかってもらえないという当然の事態が作られる。

こうして承認欲求の不満は解消されない。

中には自分の気持ちを分かってもらいたい気持ちが強いにもかかわらず、意見を主張できず、自分の気持ちを察してもらおうと、態度で示そうとしたり遠回しの表現で主張するするめんどくさい奴もいる。

 

・他人軸の影響③ 行動面への影響

彼らの行動は常識的である。

常識的な判断のもと、常識的な行動をとる。

突飛なアイデア、ユニークなアイデアを採用することは無く、無難な対応に終始する。

また、奉仕や貢献が大好きで、非常に熱心に取り組む。

他人に尽くすことや世界に貢献することは強力なモチベーションに繋がっている。

さらに、自己犠牲に走ることも多い。

自分の気持ちなどという些細なものは捨ててしまい、誰かのために役に立てるという喜びに飛びついてしまう。

 

なぜ、これほどまでに自分を捨てた行動をとれるのであろうか。

それは承認欲求を満たしたいという根本的な欲求から来ている。

他人に認めたもらうためには自分の意見など完全に見切る。

このため彼らの主張する内容や活動の方針は、誰かが同意してくれそうなこと、または同意してくれた時、あるいは常識にのっとったものになる。

常識や他者の同意という後ろ盾がない限り、活動的になれないのだ。

 

・他人軸の結果① 自信の喪失

以上のように思考、感情、行動における自主性の欠落により、

自分を主語とした思考の放棄、自分の価値の評価の放棄、自分の意見の放棄などの様々な影響が出る。

これでは自己肯定感は生まれない。

自己肯定感が得られなければ、自信も生まれない。

自信がないから、自分の意見を主張しなかったり、他者の意見に合わせたりする。

当然その先に自己肯定感の獲得はない。

こうして日々の活動の中でどんどん自信を無くしていく。

 

・他人軸の結果② 個性の喪失

個性とは固有の経験の集合体だ。

しかし、自主性を欠いた行動ばかりでは、積極的な固有の経験の獲得につながらず、

消極的選択による経験ばかりが蓄積されていく。

これでは個性が育たない。

また、この傾向が過度な場合、他者依存的になる。

思考や行動の起点が他者の存在であるため、自分の存在は他者ありきということになる。

これが習慣化されることによって、人間関係の構築にも悪影響が出る。

 

本来の人間関係においては、基本的に対等である。

お互いの立場や意見を尊重しあう形が望ましい。

しかし、自分の意見を殺し、相手に合わせてばかりでは、対等な関係を作れない。

自分の意見を主張したり、切り開いたりせず、相手に合わせることで自らの存在意義を見出そうとする。

このような他者に合わせることで自分の居場所を確保しようとする姿勢は、依存的だ。

これでは対等な関係を構築できない。

 

・他人軸の結果③ 負のスパイラル

承認欲求が満たされない、無自覚な我慢の連続は、つかみどころのない喪失感を生む。

この苦しみから脱出しようとしても、自主性の発揮なしには困難である。

なぜなら、そこから脱しようと思っても思考そのものが積極性を欠くため、

出てくる発想そのものが、他者に迎合する傾向が強い。

他者への迎合を続けていては、喪失感を埋めることはできない。

こうして、喪失感を抱えたままの人生を送ることになる。

 

・積極性を欠いた思考

思考のベクトルが徹底的に自分に向かっていない。

他者に合わせるべきだという思い込みが、本来の自分の意見を押し殺す。

自分の答えを自分の奥深くに閉じ込めた本音からではなく、他者の価値観から探す。

他者に合わせることが自分の意志だと理解してしまう。

だから、どのような努力も本来あるべき内向きではなく外向きであるため、

自分の穴だらけの体を埋めることができず、無自覚な苦しみは続く。

 

なぜ他人軸になってしまったのか

なぜ、他人軸傾向が強くなってしまったのか。理由は大きく分けて2つある。

過去の学習と日本の国民性である。

 

・過去の学習

生まれてから学習をし続けている。

人間は集団生活を送っており、集団生活にはルールが存在する。

子供は成長とともに社会のルールを身に付けていく。

幼児期は自分軸傾向が強い。

思考の中心には必ず「自分」があり、これを主軸に考え、主張し、行動する。

 

しかし現実には集団生活を円滑に送るためには他者への配慮が必要になる。

そこで、他者への配慮を考慮に入れることを家庭や教育機関または、地域社会において学習する。

このときの教育の厳しさ、遭遇した事件が強力に刷り込まれると、それをルールとして落とし込む。

その後の人生では、他者への迷惑を前提とした思考になる。

否定されないような完璧を目指したり、誰から見てもいい人像を目指したりする。

自粛、意見を引っ込める我慢、気持ちを分かってもらえない苦しさ、完璧になれない劣等感は

このように身についていく。

 

・日本の国民性

日本の国民性も強く影響を与えている。

日本は国土が狭く、居住に適した平野部はさらに狭い。しかも自然災害も多発する過酷な環境である。

日本人はそのような環境において社会を維持しなければならなかった。

こうした過酷な環境で社会を維持するには、調和が重要である。

お互いに協力し合い我慢を分け合うことで、他者の存在を認める民族性が作られた。

 

現代においてもなお、こうした国民性は生きている。

謙虚であること、目立たないことを重視しており、我慢や自己犠牲は美徳とされてきた。

他人に迷惑をかけないことが社会的常識であり、調和を乱さないことが求められる。

一方、自分の意見を通すことはあまり歓迎されない傾向がある。

むしろ、こうした自分の意見を主張するものに対し冷ややかな対応を取る。

こうした社会で生きている限り、他人軸が形成されることは当然の結果なのである。

 

自分軸を取り戻すには

では、自分軸を取り戻すにはどうすればいいのだろうか?

これまで他人の気持ちや評価を最優先してきた人にとって、これは容易ではない。

少しずつ意識的に認識を変えていき、これを習慣づけ、自分軸でいられる時間をだんだんと増やしていこう。

 

・①決意する

他人軸で生きていくことに慣れている人は、他人軸でいることに誇りを感じている。

誰かのために生きる、誰かのために尽くす、社会に貢献する姿は称賛される傾向にある。

 

しかし、その生き方に息苦しさを感じているなら、考え直すときである。

この息苦しさから解放され、のびのびと生きていきたいと考えるなら、

自分の意志で、「いい人」から脱さなければならない。

他者に迎合する生き方は、個性の放棄である。

自分を持ち、自分の人生を生きよう。

そのためには自分の中心に自分を据えなければならない。

 

・②他人軸であるということに気付く

普段の自分の思考がどんなに他者に配慮したものであるか、を知る必要がある。

最近の自分の行動を振り返ってみよう。

その中で、他者優先で考えて行動したことを書きだしてみる。

その多さに驚くだろう。

思いつく限り全ての行動がそうなっている人さえいる。

それでは自分の人生を生きている気がしないのは当然のことだ。

まずそのような事実があるということを理解しよう。

 

ただし、落ち込むこと必要はない。

他者への配慮の多さは人生の息苦しさを生んでいるが、同時に他者との軋轢を無くすことに成功し、円滑な人間関係を築いてきたのだ。

今の地位は自分が築いてきたものだということを忘れてはならない。

 

・③自他の分離

自分は自分、他人は他人という大原則を忘れてはいけない。

自分には自分の都合があり、他人には他人の都合があることを忘れないこと。

自分の軸を失った人は、自分の意志と他人の意志を混同する。

他人に迎合すること、常識に従うことを自分の意見だと勘違いしている。

 

自分の意志は尊重されるべきものであり、他者からの同意も常識に合わせる必要もない。

これまで他者を尊重してきたように、自分に対しても尊重した姿勢を取るべきである。

それができれば、自分の意見を無下に扱うことは無くなるだろう。

 

・④ポリシーの確認

自分はどんな人間になりたいのか、どう生きるのか、という問いに対する答えを常に準備しておこう。

この答えこそ、自分のポリシーであり人生の基軸となるものだ。

 

他人に合わせて生きてきたものにとって、自分のポリシーは非常に脆いものになっている。

これからの人生をブレない力強いものにしたければ、このポリシーを強化しなければならない。

このポリシーは、まったくのオリジナルの者でなければならない。

世間の評価に合わせたものではなく、自分で考えた自分の価値観に沿ったものであるべきだ。

 

これまで自分の暗い部分に追いやっていた本音を明るい部分に呼び出そう。

その声こそがまさに自分の分身であり、人生の基軸になるポリシーとなるべきものだ。

その後の人生は、自分のポリシーと共に生きていこう。

 

・⑤考え直す

沸き上がってきた自分の気持ちが本当に自分が望んだものなのか、それとも誰かのためのものなのか、

一旦踏みとどまって考え直してみよう。

 

他人軸で生きてきた人は、つい反射的に他者への迎合や同調をしてしまう。

相手の意見や常識を前にその圧倒的パワーに抵抗する間もなくひれ伏す。

しかし、これからは短絡的な結論を出さないようにに努めよう。

単純に社会に同調するのではなく、自分の意見に沿ったものであるかどうかという判断が必要だ。

 

本当は自分はどうしたいのか、本当はどうするべきだと考えているのか、同調圧力と自分の意見に齟齬があるときは必ず違和感がある。

それは、踏みとどまるべきだという内部からのサインなのだ。

このサインを見逃してはならない。

 

はじめは反射的同調の速さについていけないかもしれない。

しかし、最優先するべきなのは自分の意志であることを忘れてはならない。

 

・⑥意見を主張する 行動する

自分のポリシーに基づいた意見を主張したり、実際に行動しよう。

しかし、他人軸で生きてきたものにとって、自分を出すことは恐怖心を伴う。

それが耐えがたい苦痛である場合は、まだそのレベルへの挑戦は早かったということだ。

 

少しずつできる範囲内の簡単なことから自分を出していこう。

この少しずつのチャレンジが自分への誇りとなる。

このチャレンジを繰り返すことでだんだんと自分の意見と自分の体が統合されていく。

その感覚がつかめて来たら、それは自分軸を取り戻したということだ。

 

身についてしまった習慣を変えることは難しい。

そのチャレンジには強い抵抗を感じるだろう。

しかし、向かい風が強く感じるということは、自分が前に踏み出そうとする力が強いということなのだ。

そんな自分を応援し、人生を取り戻すために闘い続けよう。

 

自分軸で生きるとは

自分軸で生きるということは、自分の人生を選ぶ自由と責任を持つということ。

それは精神的または経済的な意味とは違う、本当の自立とも言える。

他人軸で生きてきた者にとって、その責任は重大に感じるだろう。

指示に従っていればいい、常識に従っていればいい、という考えでは、自主性の放棄だけでなく、責任の放棄にもなっているからだ。

 

しかし、これからは違う。

自分の中心軸に「自分」を置き、一つ一つの判断に責任を持つのだ。

行動が失敗に終わっても、他人や社会のせいにはしない。

自分の意見を通す姿勢に、ジコチューと非難されてもそれに反論する。

自分軸を取り戻すということは、責任を取り戻すということなのだ。

 







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