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自信がない人の特徴|自分の努力を全面否定する

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高い目標を掲げる人や常に成長を続けたい人には、決して現状に満足しない向上心が必要である。

オリンピックを目指すスポーツ選手や大きな夢を掲げる人に求められる素質である。

 

しかし、自信がない人の中には、現状に満足しないと言うより成果を全面否定する人もいる。

彼らは、課題を解決したりテストに合格しても、決して自分が招いた結果に満足せず、上司や同僚、友人や周囲の人々からの称賛や努力をねぎらう言葉に、全く耳を貸さない。

そればかりか、努力の過程で露呈した新たな課題や発生したミスを挙げ、どんな結果にも失敗だったことにしてしまう。

 

彼らはなぜ、そこまで自分の努力に納得できないのだろうか。

そのルーツを理解した上で、努力の成果を全面否定する癖を治す方法を考えてみよう。

 

自分の努力を否定する人の特徴

自信がない人は、自分の出した結果に対して、決して満足感を得ようとしない。

そして、結果に対する他者からのねぎらいや称賛の声は、完全に受け入れない。

どうしても拒否反応があるからだ。

 

粗探しする

自信がない人は、自分の努力の結果だけでなく目に入るすべてに対して、不足している点やデメリットなどの欠点に常に注目している。

一見、問題ない結果や問題ない状況に対しても、さらに完璧でない部分を探す。

これではまるで粗探ししているかのようだ。

 

正確に状況を把握できない

どのような結果や状況にも完璧なものは存在しない。

この完璧ではない部分、つまり欠点を見つけると、それ全体が「失敗だ」「ダメだ」だと極端に拡大解釈し、何でもかんでもすべて「不満足な結果」にしてしまう。

そして、失敗でないことも失敗にしてしまう。

これは全く偏った考え方であり、正確に状況を把握する能力が欠けている。

 

暗くてめんどくさい

欠点ばかりに注目していると自己否定ばかりで、自己評価が上がらない。

どんなに努力しても結局は自己否定に行きついてしまうので、いつも傷ついている。

このため、その人が持つ世界観は暗く、窮屈で重い雰囲気が漂う。

 

他者から見てもいい影響はない。

友達や同僚が、せっかく結果をほめたり努力を労ったり、あるいは慰めても、自信がない人はこれらを拒否してしまうため、コミュニケーションにも障害が出て、関係も悪化する。

 

【重要!】自己矛盾に無自覚

上記のような現実を直視しないひどく偏った考え方は、周囲から見てほとんど狂気であるが、

本人としては物事に真正面に向き合い、正確な判断をしていると本気で信じている。

そして、こうした認識のずれを生じさせる原因は、自信がない人に特有の結論ありきの自動思考にある。

 

自信がない人がすべての努力を否定するのは、否定するための考え方をしているからである。

つまり、彼らは「自分の努力の成果は評価されないもの」という固定観念をもっており、この結論に結びつける考え方しかできない。

だから、どんな努力にもどんな状況にも難癖をつけることができるのである。

要するに、努力の成果を評価しようとしていない。

こうした考えは、頭で考えるよりも早く、先に結論を出てしまうため、本人にはどうしようもない。これが自動思考の恐ろしさである。

 

もちろん本人はそうしたくてしているわけではない。むしろ誰よりも努力を認めてもらいたがっている。

しかし、古くから体に染みついた思考の習慣がそうさせるのだ。

 

自信がない人がいつも自分の努力にダメ出しし、不満足な結果に悩んでいるのは、決してそうした自分に酔っているわけではない。

自分を認めてもらいたくて一生懸命に努力をするにもかかわらず、努力の成果を一切認めることができない、という自己矛盾に挟まれ、息が詰まるほど苦しんでいる。

彼らはこの解決できない矛盾を抱えているが、それに気づいていない。

これが自信を持てない人の苦しみの本質なのである。

 

なぜ、自分の努力を否定する考え方になってしまったのか

原因① 家庭教育や学校教育からの影響

家庭や学校において完璧を求める厳しすぎる教育を受けるとそのような習性が身についてしまう。

テストで高得点を収めてもわずかな減点部分に叱責されたり、家の手伝いをがんばっても不完全さを叱責されてばかりいると、自分の努力の結果に対する判断基準は「完璧かどうか」という視点で見る癖が身についてしまう。

このような接し方をするのは、実は親や教師だけではない。

同じ環境で育った友人たちもそのような視点で主張や会話をする。

つまり厳しすぎる判断基準で物事を判断する人々に囲まれて成長する。

こうして欠点に注目する性格が形成されていく。

 

原因② 社会からの影響

一般的に、社会生活において努力が称賛されることは少ない。

目標に向かって努力することは当たり前で、しかも良い結果を残さなければならず、これを実現できても褒められることはない。

良い結果が得られることが当たり前で、これが実現できないと厳しい指摘や指導が待っている。

会社に限らず、家庭でも、交友関係においてもこの傾向がある。すべては結果で判断される。

仕事や人生に関する悩みを相談しても、大抵返ってくるのは、ダメ出しだ。

 

このように、身の回りには、合格点に満たなければ厳しい叱責があり、合格点に達しても足りない部分についての指導が入る。

これが当たり前の世界に生きていれば、そのような価値観が刷り込まれ、固定化されるのも仕方のないことだ。

 

しかし、この固定化された価値観のまま、自信を失い続けなければならないのだろうか。

この厄介な思考の癖はどのようにすれば修正できるのだろうか。

 

自分の努力を否定する癖を治すには

長年かけて体に染みついた習慣を変えることは容易ではないが、普段から意識して考え方を修正することで少しずつ思考の癖は修正されていく。

つい、いつもの癖で自分の努力の成果を否定してしまったら、一旦立ち止まって、偏った考え方をしていなかったか振り返ってみよう。

 

結果を正確に評価する

人間には個性があり、各個人によって着眼点は違う。

このため、事象や結果の受け止め方は個人によって異なるが、その受け止め方の偏り具合がが異常であれば是正するべきである。

少なくとも、客観的で公正な、また正確なものの見方を持つという意識が必要だ。

 

これができれば、なんでもかんでも自信を失わせる解釈はしなくて済む。

プロジェクト遂行にあたり、多少の努力不足や取り組む姿勢に反省点があったとしても、

プロジェクトが予定のスケジュールに乗っていたり、前に進めることができていれば、それは称賛に値することなのだ。

 

解釈のねじ曲げを止めよう。「結果オーライ」を目標にしよう。

 

成功と失敗の定義を見直す

視野が狭い人ほど、その場の結果にこだわる。

どうしても成功と失敗にカテゴライズしたがり、失敗に落ち込み、成功を夢見る。

しかし、ひとつの結果に対する失敗や成功の線引きは、本当は非常にあいまいである。

成功も失敗も一時的な定義付けによるレッテル張りであり、俯瞰的に見れば結局はすべて一つの結果に過ぎない。

 

ある時の成功は永遠の成功ではないし、ある時の失敗は永遠の失敗でもない。

「人間万事塞翁が馬」である。

どんな結果であったにせよ、その良かった点や得られた結果に注目し、その点に満足する気持ちが重要である。

 

むしろ、定義があいまいであるからこそ、自由な解釈が可能だと考えよう。

失敗したと思っても、ひとつの結果を得ることができた、と考えることができるようになれば、行動に対する考え方も、挑戦に対する心理的ハードルも変わり、人との接し方やその後の人生にまでいい影響を与えることになるだろう。

 

失敗する権利があることを知る

失敗とはその人の人生を奪うほど、恐ろしいものなのだろうか。

それは合格ラインを割ったという一つの結果に過ぎない。

成功する権利があれば、失敗する権利もある。

なぜなら成功も失敗も一つの結果だからだ。

 

成功体験は、自己評価を上げ、自信を獲得する。

それと同様に、失敗したとしてもそこで得たもので自己評価を下げる必要はないし、自信を失う解釈も無用だ。

私には失敗する権利がある、と思えば、少し気が楽になるだろう。

むしろ成功には失敗が必要だ。

失敗の連続で得たノウハウの蓄積が無ければ、成功など実現しえないからだ。

 

仮に、ある失敗が仲の良い友人のものであったら、あなたはその友人にダメ人間の烙印を押すだろうか。

また、あなたに子供がいたとして、練習もなしに自転車に乗れないことを叱りつけるだろうか。

それよりも挑戦したこと、乗れるように努力する姿勢をほめてあげることができないだろうか。

そのような寛容で柔軟な感性を自分に向けてほしいのだ。

人生は想像するよりもっと広くて深い。

結果に対する評価も、多様なとらえ方があることを知るべきである。

 

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