無意識による翻弄

行動の動機には、意識的なものと無意識的なものとの二つに分けられる。

意識的なものは五感を通して得た情報に対する反応が意識的に行われているもののため、認知・判断・行動のプロセスは把握しやすい。

一方、無意識による行動には、反射的に出たものや、いつの間にか判断していたり、行動に移していたりするものがある。

これらの無意識的な行動は、認知~行動のプロセスを把握しにくいものであるため、日々の活動はいつのまにかこれに支配されている。

このような日々の積み重ねにより、いつの間にか人生そのものが何かに支配されていたり、大きな流れを感じたりしてしまう。

しかし、本当の自分の人生は、誰かが支配しているのだろうか。

我々は運命や神の意志によって決められた、限定的な枠の中で生きるしかないのだろうか。

 

運命論への疑問

昔から、人々は運命や逆らえない大きな流れに人生を翻弄され、嘆き、ひれ伏してきた。

神や運命という概念が発明されると、繰り返される悲劇や不幸には、運命や神の意志だとして、あきらめの対象としてきた。

しかし、運命だから、神の意志だからと自分の人生を諦めていいのだろうか。

変えられない流れを止めることはできないのだろうか。

繰り返される悲劇には、降りかかるたびに耐え、次の悲劇を待たなければならないのだろうか。

この現代社会においても相変わらずありもしない神にすがって生きるべきなのだろうか。

 

人生は自分の選択の積み重ね

たしかに自分の人生にはある種の見えない風圧のようなものを感じることがあるだろう。

人生に降りかかる事件や事故は、まったくのバラバラなものではなく、ある傾向があるはずだ。

しかし、これは当然である。

人は自分の持つポリシーをもとに日々の活動を選択している。

ノンポリの人間なんていない。必ず何らかの哲学をもって生きている。

これをもとにすべての人生の選択を行っているのだから、その選択や得られる結果には、傾向が存在して当然なのだ。これが個性の正体であり、あなた自身を表している。

あなたの人生を操る存在など、自分以外に存在しない。

しかし、なぜ自分のものであるはずの人生が、何者かによって翻弄されているという誤解を生むのだろうか。

 

無意識の判断スピードの速さ

日々の活動は、無意識な選択や行動をとっていることが多い。

その選択や行動の方針は、個人の持つ善悪の基準や正義に沿ったものである。

このような判断は、事象を認識した直後に直観的で反射的なスピードで判定が下され、その判定には疑問を持つことは稀である。

 

本来ならば、状況を整理し、あらゆる解決の手段を並べ、じっくり状況に合わせた最適な手段を選び、そして実行を目指したいところだが、

各場面においての判断の仕方とそのスピードは、思考の介入を許さないほど決まりきっておりかつ、瞬間的に決定されている。

その結果、特定の選択や行動を回避したり、選択したりしていることに驚くほど自覚がない。

こうした無自覚の習慣は、自分の人生に悲観的になったとき、責任転嫁として運命や神の意志のせいにして、無理矢理納得しようとする。

人生の選択を自分で行っている自覚が薄いため、どうしても自分の人生に自分で責任を負いきれないのだ。

 

翻弄されている気がする原因は、日々の選択が無意識的に選択されているからである。

無意識的な瞬間的な判断には自分の意志が、介在できていない気がするので、

誰かが操っているかのような勘違いをしてしまうのだ。

 

疑うことができない

我々の脳は、人生の中で数ある経験から自分にルールを作り上げていく。

それは一般常識であったり、社会のルールであったりする。また、個人的な経験から、個人的なルール(判断のパターン、公式、思い込み、正義、善悪の基準)を作り上げることも多い。

また、このようなルールに基づいて人生を生きていくため、アイデンティティを疑うことは困難である。

こうしたアイデンティティに基づいた人生の選択に疑問を持つことはできない。

どんな問題も疑うことができなければ、課題の認識はできず、解決することはない。

人間は解決の原因をつかむことさえできないことを、運命や神のせいにしておくことで、なんとなく解決を先送りにし続けてきたのである。

 

犯人は自分

忘れてはならないのは、人生の選択はすべて本人が行っているということである。

そしてその選択の積み重ねが、人生を構築していく。

もし、運命や人生を支配する何者かがいたとしても、それは紛れもなく自分である。

全ての人生における無数の選択はその重大さの大小にかかわらず、すべて自分で責任を取らなければならない。

人生に起こった都合の良い時だけ自分の努力の成果にし、都合が悪くなると他者や環境に責任転嫁していないだろうか。

 

まとめ

不運な事故や疲労の蓄積によって悲観的になったとき、人生の悲運を数え、人生を支配する大きな力や、運命といった解釈で、無理矢理納得させていないだろうか。

しかし、まぎれもなくあなたの人生を決めているのは自分だということを再認識しなければならない。

人生で迫られるすべての選択とその結果は、すべて自分で責任を取る覚悟はできているだろうか。

 

○○できないのは、△△のせいだ。

今の地位が○○ではないのは、△△が邪魔しているからだ。

どんなに努力を続けても○○を達成できない。

 

しかし、それは自分の思い込みである可能性がある。

自分の人生哲学と目標の整合性が取れていない結果、望む結果を得られていないのかもしれない。

 

何かがうまくいかないのには必ず原因がある。

そしてどうしても改善しないのならば、それは疑ったことのないところにその原因がある。

その疑いの目は、自分自身に向けなければならない。

そしてこの自分を疑うことは、精神的苦痛が伴うため、多くの場合見過ごされる。

各個人が抱える一向に解決できない悩み、まったく達成できない目標は、今こそ自分自身を振り返るときだと、サインを送ってくれているのである。