日本経済の低迷という誤解

日本経済についての各メディアの論調は、経済の低迷そのものを指摘したり、それを前提とした政権批判が多い。

実際、経済成長率は伸び悩み、企業や個人の地道な努力で経済は少しずつ上がっても、震災や○○ショックと呼ばれる経済的打撃を受け、経済成長率は激減し、またそこからまた少しずつ経済成長の階段を上っていく。

まるで賽の河原のようだ。

それではなぜ、これほどまでに日本の経済は伸び悩むのか。

本当の原因は何なのか。

 

メディアの論調

橋本政権から始まったデフレ経済は日本を疲弊させている。

経済指標と連動する自殺者数は、3万人程度を推移し(現在は減少傾向にあり2016年は2万2000人)、暗雲立ち込める日本経済の低迷を表す指標の一つである。

アベノミクスは、劇的な効果を見せていない。

伸び続ける経済成長は非常に緩やかで、実感を伴っていない。

野党や経済評論家は口をそろえて現政権を批判し続けている。

メディアも毎日忙しく政権を批判し続けている。

経済政策もその一つで、どんな成果を上げても批判の材料を探し出し、意地でも批判するスタイルを崩さない。なぜなら、それがメディアの仕事だからだ。

しかし、こういったメディアの主張はすべて正しいのだろうか。本当に政策が間違っていて、野党や評論家の言うとおりに政策を実行すれば、実感を伴う経済成長は見込めるのだろうか。

 

低迷ではなく安定

日本経済は、しばらく前から準飽和状態に達した。

今や日本は経済大国であり、GDPは世界3位。もはや登れるところまで登り詰めたのである。

つまり、経済は低迷しているのではなく、安定したのだ。

政府や民間企業が、どんなに手を尽くしても期待するほど成長率が伸びないのは、これが原因である。

 

日本は低迷する経済成長率を打破しようと、これまでIT化、グローバル化、コストカットなどにも手を伸ばしたが、どんなに手を尽くしても、伸び率は劇的に上がることはなかった。

やれることは20世紀のうちにやりつくしてしまい、どんな方法も効果はわずかしか期待できない。

ましてや、現在当たり前に行われる各企業のコストカットなどの消耗戦に入れば、後は体力勝負となる。このような消耗戦では、勝利はない。

 

もちろん手段が尽くされていないという議論もある。

政府に対しては、政策の選び方、進め方、癒着構造や戦後体制の撤廃など。個人に対してはチャレンジ精神、英語力、海外進出、コミュニケーション能力などが指摘される。

たしかに戦術はたくさんあるだろうし、伸びしろもあるだろう。

そしてこの追求が各省庁、各企業、各個人の務めであろう。

しかし、やはり経済成長期のような高い効果は期待できない。

なぜ、経済の安定期に入ると成長しにくいのだろうか。

 

日本経済のイメージ

このような日本経済の安定の様子は、以下のようなイメージがわかりやすい。

例えば水分を含んだ雑巾を絞るとき、初めは軽い力で容易に絞ることができる。

しかし、絞る回数が三回目、四回目になるとだんだん容易ではなくなっていく。

かつての経済成長期は、例えるなら一回目と二回目だ。やればやるほど、伸びていく。

しかし、同じやり方を続けていても、どんなに力を込めても絞れる水分の量は、わずかなものでしかない。

 

もう一例挙げよう。

テストの偏差値が低い間は、勉強すればするほど成績は伸びていく。

しかし、一定の成績を超えるとどんなに勉強しても、偏差値の伸び率はわずかなものだ。

同じ労力では伸び率は落ちる。

時間の経過とともに必要なエネルギーは増加していく。

このように日本経済は、成長期に成長したが、安定期にはそれは少ない。

維持するだけでも困難である。

 

誤解の原因① メディアの報道姿勢

新聞などの報道の内容は、現在の経済成長率を小さく見せることに成功している。

議論が成長率で語られることと比較対象が成長期の数値であることが、その論拠になっている。

メディアは現政権を批判することが経営方針になっているので、このように主張するのだ。

メディアから受け取るべき情報は、言葉から受け取る印象ではなく客観的な情報である。

事実上、メディアの発信する内容から、情報を得なければならないのだが、そこには必ずメディアの意図が反映されているものだ。

 

メディアの報道姿勢は、政権を批判することであり、批判の材料は、針小棒大な解釈に基づく。

しかし、マクロ的に見る日本経済と、ミクロ的に見る日本経済を混同させるべきではない。

我々はそれに惑わされず、大局的なものの見方を身に付けなければならない。

 

重箱の隅をつつくようなミクロな議論やテクニック論は専門家同士の間でするべきもので、一般人はこのような話に耳を傾ける必要はない。

なぜなら、大局的なものの見方ができていなければ、正しい判断ができず、間違った方向に進み、努力は徒労に終わるかもしれない。

メディアに騙されて人生を無駄にしてしまうかもしれないからだ。

 

誤解の原因② 世代間差

戦後の経済成長期に青春時代を過ごした団塊世代は、まだ日本経済の成長という幻想に取りつかれている。

その下の世代は、その幻想に基づく主張や経営方針、指示、説教に付き合わされている。

人間にとって青春時代は人格形成期であり、この時に得た経験や教訓、特に成功体験は各個人のアイデンティティの重要な構成要素になっている。

こうした体験は、その人にとって疑うことを想像できないほど、その人にとって中心になる考え方になる。

このため、団塊世代が重役を務める企業では、これを前提とした経営や仕事の方針になっている。

 

下の者がこれに整合しない提言や、否定するような意見を主張をすると、この団塊重役は烈火のごとく反論する。

人間はアイデンティティを否定されると、必ず反撃する性質がある。

その反論反撃内容の根底には、成功体験に基づく個人の方針がある。

反論せざるを得ないのは、部下からの提言や主張がこれに整合しない考え方だからだ。

しかし、時代に合わない哲学での会社経営は難しい。

そしてそれを受け入れることができず、哲学とともに倒れた会社も多いだろう。

これまでの経営とこれからの経営は違う。時代も状況も変化し続けているからだ。

それぞれが生きる時代、世界は異なっていることを見誤ってはいけない。

 

低迷する日本経済との向き合い方

我々は、伸びしろの感じられない日本経済に悲観するべきなのだろうか。

それは違う。

仕事に熱心なあまり高い目標や手元の仕事内容にばかり目が行っていて足元が見えていない。

いま自分がどんなポジションにいるのか、を把握するべきである。

今の自分がどれだけ恵まれているか、を知ることは、人生を見つめなおす第一歩である。

 

足元を見てみよう。

日本は発展し、そこに生まれた者は、高度なサービス、教育を受けることができる。

現代に生きる日本人はこれらの恩恵にあずかっている。

かつての企業戦士たちが死に物狂いで戦い、実現を夢見ていた世界(楽園)に我々は偶然生まれ、生活することができている。

こんな幸せなことがあるだろうか。

それともあなたは現状に満足せず、まだまだ足りないもの欲しがるのだろうか。

未熟な子供のように。

そして、満足できない原因をひねり出し、政府に押しつけ、バッシングし続けるのだろうか。

それより、この時代この国に生まれた幸運に感謝し、生産活動や社会貢献に励むべきではないか。

 

まとめ

現実を受け入れよう。もう、これ以上の経済発展は幻想なのだ。

その幻想にとりついているのは、昭和の経済成長期を生きた団塊世代だ。

彼らはまだまだ経済は成長するという幻想にとらわれている。

しかし、現実には上り詰めたあとの安定期だから、これ以上伸びようとしても、伸びない。

絞ったぞうきんからさらに、水分を搾り取ろうとしても、労力に対して得られる効果は少ない。

彼らとは生きている時代が違う。

ここを踏まえていない議論があまりにも多い。

明らかにグローバル化とともに、商売も国際化した。

国内向けで何とかなっていた商売は、グローバル企業と肩を並べるようになり、これまでのやり方を踏襲しようとしてことごとく失敗している。

原因は目先のことにとらわれて視野が狭くなっていること、メディアなど周囲の情報を鵜呑みにしてしまっていることである。

もっと全体を俯瞰し、大きな流れをつかむことが大事である。

ものの見方が正解か不正解か、より、このような姿勢でものを見て、自分で考えることが大切である。