現在の35歳を取り巻く環境

現代の日本は、男性からエネルギーを奪う構造になっている。

経済成長を終え、気持ちの余裕をなくした日本は、寛容さも失った。

寛容さを失った社会では、弱きをくじき、利益は分配されず、弱肉強食的な緊張感に満ちている。これも時代の流れだ。

この殺伐とした社会で生計を立てざるを得ない男性は、女性や先の時代を生きた者から、覇気がない、元気がないと批判されるが、この指摘は正しいのだろうか。

このように男性から元気を失わせる現代の30代男性を取り巻く社会とは、どんなものなのだろうか。

 

潜在的男性差別社会

人間には、男女という性別があり、それぞれ身体的、精神的特徴が異なる。

この事実が、潜在的な男性差別を生んでいる。

一般的に、男性をたたいて溜飲を下げたり、男性には損な役回りを押し付ける空気がある。

女性は弱く守られるべき存在であって、そのために男性は我慢するべきという無意識レベルの潜在的な共感が社会にはある。しかも国境を越えた別の国でもこれは同じである。

例えば、報道などで男女間のトラブルを見聞きすると、直観的に男性=加害者、女性=被害者という構図が頭に浮かぶ。

その印象から、加害者に違いない男性側の至らない点を指摘したり、そのような邪推を行う傾向がある。

 

我々の頭の中には、男性は「ろくでもない生き物だ」という刷り込みがあり、状況を正確に把握することなく○○だからという単純な論理に基づいて、悪者にされる傾向がある。

また、男性には体力があるため、我慢を要求されたり、精神的にタフであるべきという思想から、男性をバッシングしても許される空気がある。

このような思想は、文化面にも表れている。

パニック映画が一番わかりやすいが、最初の犠牲者は必ず仕事中の男性だ。これは面白いほど当てはまる。

この一連の男性に対する不遇な扱いは、明らかに男性差別である。

 

成果主義

日本の経済成長期は、現代に比べれば不便な点が多かったが、経済成長の実感は、明るい未来を信じさせ、経済発展の心強い精神的基盤であった。

また、この時代は、会社は社員の一生の面倒を見、社員は会社に一生懸命奉公するという構図ができており、会社と社員の関係はお互いの信頼関係で結びついていた。

日本特有の終身雇用や国民皆保険制度は、日本古来の大家族思想的な一体感の象徴であった。

 

しかし、現代は違う。

経済成長の終了による精神的基盤の喪失とグローバル化の波が、日本と日本人の考え方を変えた。

成果主義の浸透は、努力よりも成果を重視するようになった

今や会社は、成果を残せない(不要な)社員を容赦なく切る。一方社員も、会社を遠慮なく見切る。

以前であれば助けられたはずの成果を残せない真面目な社員も、会社から放出されてしまう。

一生懸命やってれば大丈夫、真面目に取り組んでいれば評価されるような時代ではないのだ。

 

このような成果主義はエンターテイメント業界にも反映されている。

かつて、スポーツ根性ものと言われるジャンルの漫画や映画があった。

主人公は負けた悔しさに涙し、汗を流し目標に向かって努力する姿は、美学として描かれた。

しかし現代では、そのような主人公の努力する姿は描かれない。

元々あったスキルが発掘され、これを活かしたり、突然パワースーツを手に入れていきなり活躍する。

主人公の努力はスキルの向上を目指したものではなく、ツールを使いこなすトレーニングとして描かれる。

これらの表現は、現代のプロセスよりも結果を重視する社会を投影したものだからだ。

 

成果主義とは成果が出せるかどうかが、唯一の評価基準である。

上司も周囲も、そして自分もそのような視点で他者を評価する。

その評価の程度が個人のスキルとされる。しかも、その評価は今や数値化されるのだ。

この成果主義思想は、会社という狭い空間に限らない。

男性は年齢、職業、年収によって価値を判断され、これが低い者は立場がない。

少なくとも女性が求める男性像は、これらのステータスが高い者である。

 

未婚率の上昇

個人主義の浸透は、他の分野にも深刻な影を落としている。未婚率の上昇だ。

前世紀に比べ、個人の意見は尊重されるようになった。

各個人で理由は様々あるが、結婚に至らない状態を認める空気がある。

これまでの非常識は、許容されるようになった。

女性の高学歴化も未婚率の上昇を加速させた。

女性の高学歴化は、彼女たちの収入増につながったが、女性は男性に養われるべきという思想が残っているため、パートナーには自分より高い収入を求める。これでは結婚候補者は減る。

必然的に成婚の確率は下がる。

 

共依存の母子関係の存在も無視できない。

自立できていない親は、子を自立させることができない。

自立できない子は大人になっても依存体質のままであり、男性はこのような女性をパートナーとして選ばない。こうして、未婚率の上昇の一因となる。

また、結婚=幸せという根拠不明の思い込みが結婚のハードルを上げている。

結婚は社会生活における一つの手段であり、ともに協力し合う関係のはずだが、女性の思い描く結婚像は、楽して生活することだ。この高い要求に男性はうんざりしている。

 

未婚率の上昇についても、男性への世間の風当たりは強い。

未婚男性に投げかけられる言葉は、どれも冷たいものだ。

無責任、自由気まま、遊び人、収入が少ない、人格に問題…

 

はたしてこれらは正しい指摘なのだろうか。

男性差別から来る、邪推なのではないだろうか。

 

減るお金

男性にとって抜けていくのは髪だけではない。お金もむなしく我々のもとから離れていく。

 

・年功序列の廃止

かつての日本には、年功序列という文化があった。強きは弱きを助ける日本特有の文化は、成果主義とは全く逆の思想に基づいている。

経済成長期を終えた日本にとって、この旧時代の文化は、必然的に廃れていった。こうして給料は上がりにくい構造になっている。

 

・適齢期の女性の要求

食事をおごるなど、女性への金銭的援助は、女性の社会進出が遅れていたころの文化の名残であり、女性の社会進出が進み、給料を得るようになった女性が、今もなお、金銭的要求を続ける姿勢は感心できるものではない。

むしろ、感謝の気持ちもなく、これを当然だと考える彼女たちが、この期待に応えられない男性を「男らしくない」と人格否定する姿は、ヤクザかタカリのようだ。

人間は一度味を占めると、次々と要求を続ける性質がある。

これを止めさせるには、女性が考えを改めるか、女性の社会進出を抑制するか、どちらかしかない。

 

・年金制度の課題

年金という制度も、弱きを助ける美しい日本の思想に基づいたものだが、この制度も人口分布の偏りから見ても、破たんしていることは明らかだ。

若い世代は受給額より負担額が大きいことが明らかにされている。

受給開始年齢も引き上げが続き、年金の未納や不正受給も後を絶たない。

全くポジティブな要因の見つからない欠陥だらけの制度である。

弱きを助ける文化はどこに行ったのだろうか。

今や弱者は、高齢者ではなく、若年層なのである。

 

どう生きるのか

残念ながら、我々はこの時代に生まれてしまった。我々は生まれる時代を選ぶことはできない。

このような時代でどう生きるのかが大切だ。

社会が私たちにドライに接するのなら、私たちも社会に、また自分にドライに接することだ。

このような生き方には覚悟が必要だ。

どんな努力をしたとしても、至らなかった点はしっかり認め受け入れる勇気を持つこと。

自分のポリシーと整合しないコミュニティには、しっかり見切ること。

そしてこれらの行動には、他者への配慮も忘れないこと。

ひとりひとりがしっかりと自立し、依存や甘えた考えは切り捨てる。

頑張ったから認めてもらいたいというぬるい考えは、今や「甘え」と表現されるのだ。

 

時代の移り変わりとともに、価値観が変わるのは当然だ。

価値観を変えずにいれば、時代に取り残され、社会と不整合をきたす。

会社に面倒を見てもらう時代は20世紀で終わったのだ。

我々には依存しない姿勢が求められている。