夢を叶えるたった2つの意外な方法

人はたくさんの夢を見る。その理想の姿に憧れ、実現できた時を想像する。

想像している時間だけは、楽しい時間を過ごすことができる。

これは子供も大人も変わらない。

しかし、夢を実現しようと努力をしても途中で挫折したり、あるいは行動に移す前から諦める。

一方で、本人さえ驚くような夢を実現できる人もいる。

夢がかなわないのには理由がある。

夢を諦める人と諦めない人には明確な違いがある。

この両者を分けた習慣とはどのようなものなのだろうか。

 

変わらない日々

子供のころに描いた夢を実現できた大人はどれくらいいるだろうか。

宇宙飛行士になりたいな、スーパーカーが欲しいな、といった夢を見ることは誰でも経験する。

大人たちはそんな子供たちに対して釘を刺す。

そのためには勉強ができないとだめだな、社長にでもならなきゃ無理だな。と条件を教示する。

子供たちはその高すぎるハードルを越えることができない自分に気付き、実現が不可能なのだと察する。

大人は親切に、常識的に、かつ優しく丁寧なアドバイスをしているが、その反面、子供の夢をつぶし成長の機会を奪う。

 

大人が夢を語るともっと直接的な表現で諭される。

「俺、いつか○○をやってみたいんだよね。」と言おうものなら周りの者たちはきっとこう言う。

「なにバカなこと言ってんの。」

「お前にできるわけがない。」

「責任取れんの。」

そして抜きかけた刀をそっとさやに戻す。

そうだよね、普通が一番だよねと、自分に言い聞かせる。

そして変わらない明日がまたやってくるのだ。

 

夢とは

夢には人生を引っ張っていく力がある。

夢を持った瞬間から人生の目標となり、すべての活動の指針となる。言わば人生の軸だ。

この人生の軸になるという夢とは、我々にどんな影響を与えるのであろうか。

 

・積極的にする

夢の実現という目標達成に向けて努力する日々は充実したものになる。

夢をかなえたいという強烈なモチベーションが積極的、活動的にする。

数々の試練にも果敢に挑戦し、これまでの不可能を可能にさせる。

こうして夢に向かって頑張っている間はどんどん自分から潜在能力が引き出され続ける。

その結果、様々な知識と経験あるいは教訓を蓄積していく。

 

・ポジティブ志向にする

夢を持った人間はポジティブ志向になる。

○○になりたい、○○が欲しいという願望は、一歩踏み出す勇気を与えるが、そこで得られた成果を前向きに受け止めることができる。

小さな成果でも前進だと解釈し、夢に近づいたという実感を得る。

また、失敗に対しての気分の切り替えも早い。

 

以上のように、夢を持つことは人を積極的にさせ、ポジティブ志向にする力がある。

その力が人生をより充実したものに変えるのだ。

 

夢を叶えるためには

しかし、現実にはどんなに強い思いを持っていても、実現に至らないことが多い。

ある時は、周囲の人に反対され、馬鹿にされ、悔しい思いのあまり努力を止めてしまう。

またある時は、一向に成果が上がらず夢に近づけない自分をみじめに感じて、挫折してしまう。

 

一方、夢を実現した人たちは、最後まで夢を信じることができた人たちだ。

彼らは常に全神経を夢にフォーカスし、疑いの余地が入る隙間がないほど、頭の中を夢で埋め尽くすことを習慣にしている。

こうした習慣とは、具体的にどのようなものだろうか。

 

夢を叶える方法① 耳をふさぐ

夢とは、非常識なものだ。

憧れの人や理想的な環境は、まるで別世界に存在するかのようだ。

こうした夢の実現を目指すということは、その別世界に近づく行為に他ならない。

ところが、この非常識な行いを許せない人々がいる。

 

・非常識な思想を許せない善良な市民

常識を愛し、常識こそ正義だと固く信じ、常識の正当性を自分に戒め他人に説く者たちがいる。

彼らを常識原理主義者という。

彼らの信念は固い。その絶対的な価値観からくる正義感を背負い、この世から非常識なものを一掃しようと常に目を光らせている。

 

彼らから見て、非常識な夢を見たり、語ったり、ましてや実行に移す人は攻撃対象である。

夢に向かう人をかぎつけ、追いかけ、歩みを止めるまで常識を振りかざし執拗に妨害を続ける。

彼らは巧妙に足を引っ張り、常識の世界に引きずり戻そうとする。

親切に猫なで声で注意したかと思えば、次の瞬間鬼の形相で脅迫まで行う。

 

「常識で考えろ」、「やめとけ」、「それより○○を大事にしろ」、

「馬鹿じゃねえの」、「そんなのしてると○○になるよ」

 

「本人のためを思って」などと親切な振りをしたり、人格否定まで行う。

まさに常識を守らせるためには手段を選ばない。

彼らを駆り立てるのは正義感の行使である。

彼らは非常識な人間を常識の世界にひきずり戻し、正義感という心理的な報酬を得ようと必死だ。

 

・常識に足を引っ張られる

真面目な人ほど常識という言葉に弱い。

真面目な人は他人の親切を無下に扱えない。だからこそ周囲の親切な声に、耳を傾けてしまう。

 

親切な常識原理主義者の言うことに耳を傾けていると、だんだん彼らの思想に染まっていく。

はじめのうちは決意も固く突っぱねているのだが、少しづつあなたの決意は蝕まれていく。

信用のある身近な人から常識を持ち出し反対され続けると、なんだか社会から否定されている気がし始める。

「常識的に考えて○○」などと言われ続けてしまえば気持ちがなえてくるのも当然だ。

するとなんだか自分の考えは間違っているのではないかと考えるようになってしまい、決意がだんだん揺らぎ始める。

 

そして最終段階。自分で自分の決意を疑い始め、一番大切な原点である初心を否定する。

大きな夢なんてバカバカしくて諦めてしまうのだ。

 

・夢を諦めた後

夢を諦めた後は、諦めたという自分の判断を正当化する。

常識的な判断を下したことに納得する。決して反対勢力に洗脳されたことに気付かない。

そしてその後の人生はここで得た教訓が反映されることになる。

つまり、常識の中の世界にこそ生きるべきであり、馬鹿な夢など見るべきではないと胸に刻む。

さらに最悪なことに身の回りのそうしたバカな夢を語る者に対して同じように説教するのである。まるでゾンビ映画のゾンビのように。

 

・夢を諦めずに常識と戦う方法  耳をふさげ

夢の実現には高いモチベーションの維持が必要だが、常識はこれを貧弱なものにする。

こうした周囲の声に負けず夢を守る方法がある。

耳をふさぐのだ。

つまり外界からの否定的な意見を一切受け付けないことにするのだ。

彼らの言葉に一切耳を貸してはならない。

足を引っ張るような反対勢力の意見に一切耳を貸さないよう、自分から遠ざけること。

否定的な意見が耳に入らなければ、その意見に侵食されることを防ぐことが出来る。

これで常識に惑わされることなく、夢に向かって前向きに戦う人生を送ることができる。

 

何事にも言えるが、進路が邪魔される場合には、それを排除しなければならない。

親切心だろうが、罪悪感だろうが、とにかく自分の夢に向かう行動を邪魔する者はすべて障害だ。

彼らの親切な妨害から夢を守り続けなければならない。

そもそも、常識とはあいまいな観念に過ぎないし、法的拘束力もない。

自分の人生の方針の決定にそもそも周囲に意見を求める必要はない。

自分の人生と自分の夢は、誰にも邪魔されてはならない。

 

・まとめ

夢について誰かに相談したところで、客観的で悲観的な意見が返ってくるだけだ。

第三者の意見など必要ない。

夢の実現に関する判断を他人に任せてはいけない。

いったい自分の人生は、誰の人生なのか、誰の目標なのか。よく考えてみる必要がある。

自分という存在をもっと重く受け止めるべきだ。

●参考リンク:常識の壊し方│意志を貫き成功をつかむ方法

●無自覚な嘘│「判断」は「理由」に基づいていない

 

夢を叶える方法② 前しか見ない

夢の舞台とは、高いスキルを保有する者のみが到達可能な境地である。

一般人にとって、そこはまさに想像することしかできない非現実的な世界である。

高いスキルを駆使し、高度なパフォーマンスを繰り広げる世界は非常にドラマチックにまぶしく映る。

しかし、現実には自分がそのような高いスキルを保有できていないことに愕然とする。

 

・可能と不可能の線引き

様々な人生経験を経た我々は、いまさら大きな目標を立てることはない。

大きな目標を思いついた瞬間に諦めてしまう。

直観的に今の自分の実力で可能かどうかを考えるからだ。

これは当然の反応と言える。

我々は「できること」と「できないこと」の線引きができている。身の丈を知るというやつだ。

その線の内側か、外側かによって実現可能かどうかを判断し、実行するかしないかの判断をする。

だから人間は、自分にできそうなものしか着手しない。

日々どんなに努力をしているつもりでも、結局は自分の達成できる見込みがあるものにしか手に付けていない。

 

・厳しい現実

一方、夢は手の届かないところ、つまり実現可能ラインの向こう側にある。

その夢をかなえようと近づく努力を続けるが、現実を直視する瞬間はいつか必ずやってくる。

現実とは以下のようなものだ。

・高い目標に対してあまりにも低すぎる自分のスキル。

・努力の割には成果が上がらず夢の実現までの長すぎる道のり。

これらの現実に失望や絶望し、自信を喪失する。

特に前進しているという実感が得られないと、努力の意味を見失う。

こうして不安材料が蓄積されていくと、現実的に考えて、とても実現は不可能だという予測が立ち、諦める判断を下す。

夢をあきらめる瞬間は必ず自分の実力を振り返ったときである。

 

・夢を諦めずに現実と戦う方法 前だけを見ろ

自分を振り返った瞬間諦めそうになる。いま現在の自分に意識を向けるほど夢は遠ざかっていく。

それなら、夢を実現するためには、現実に目を向けなければいいのだ。

つまり、夢をかなえたかったら、

前だけを見ろ。

決して自分のスキルを推し量るな。ただひたすらに夢に全神経を集中させるのだ。

この考え方は、一見無責任に思えるが、効果が高い。

現実を把握しないということは、自分の中のネガティブ要因から目をそらし続けることができる。

 

失敗を振り返らない。自分の評価を低くジャッジすることもない。

こうして自己評価を下げる材料が無くなれば、迷う時間が無くなる。

要するに、夢を実現するために無駄な考えが侵入してくる隙を作らない。

こうして意識的に自分のスキルが不足していることに気付かない環境を作り上げ、

夢を諦めない様に仕向けるのだ。

ただひたすら前だけを見るということは、大切な夢を守る手段でもある。

 

・夢を実現するのは誰か

夢の実現は、今の自分ではなく、未来の自分が可能にすることを忘れてはならない。

現実には、スキルは足りていないかもしれない。しかしそれは一時的で視野の狭い考え方なのだ。

いきなり宇宙飛行士になれる人もいないし、突然オリンピックで金メダルを取れる人もいない。

目標に向かって努力していく中で、自己実現可能な範囲を広げていき、何とかたどり着くのが夢の晴れ舞台だ。

それまではひたすらにスキルアップに励む日々になるだろう。

 

例えばプロのサッカー選手になりたいという人がいるとする。

この実現には、チームメンバーとのコミュニケーション能力と言語の習得は不可欠であり、一流の技術、知識、経験、実行力、体力、トラブル対応能力が必要になる。

しかし、プロサッカー選手を目指す少年は、自分の実力なんて関係なく、理想の選手のプレーに自分を重ね、いつか活躍できることを夢みる。

夢を見る間は気分が高揚し、元気が出る。そして元気に練習に励む。

この少年から学ぶところは多い。

できないから諦めるのではない。

今はできないけどいつかできるようになる日が必ず来る、と信じて疑わない習慣が夢に近づけるのだ。

 

・まとめ

夢というものはたいがい、自分の住む世界の外側にあるものだ。

つまり、現時点においては実現不可能なものだ。

そして、その内側と外側を隔てる線引きは自分で行っている。

そこに矛盾が発生する。

しかし、人類全員がそのような考え方では、人類に進歩はなかったであろう。

いつか可能になる日が来るという思いが、自分だけでなく人類を進歩させてきたのだ。

●参考リンク:選択的注意│重要だと思うものに意識がフォーカスする

 

最後に

いつも常識や周囲の声に従い、自分の本当にやりたいことを諦めていないだろうか。

みんなの常識に合わせ、みんなと同じ価値観で仲良く過ごすことも楽しい。

しかし、自分の人生の選択権は常に自分にあることを忘れてはならない。

人生は短い。

その貴重な残り時間の過ごし方が、常識の名において夢を見る自由が奪われるものであるなら、残りの人生を生きていく価値はない。

常識の奴隷に成り下がった者にとって人生とは、寿命が尽きるまでの消化試合である。

 

夢を持つということは、そんな鎖で縛られた空しい人生を破壊する行為であり、常識への反逆である。

夢の実現へ向けた努力の積み重ねは充実した時間をもたらす。

この充実した時間こそ人生の醍醐味であり、生の実感を得られるのだ。

誰かのための人生ではなく、自分の人生を生きるために、存分に夢を追いかけよう。

●参考リンク:自分軸で生きる│人生を選択する自由と責任を持つ生き方