宗教の必要性

人類は集団生活を送る中で、宗教という社会維持システムを発明した。

圧倒的なパワーを持つ自然への感謝の気持ちや死を悲しむなどの感情の整理は、ユダヤ教以前から続くものである。

なぜ宗教が生まれたのだろうか。なぜ人類は宗教を必要としたのか。

また、宗教は人類に何をもたらしたのだろうか。

 

なぜ神が存在したのか

人間は自然の中に生かされ、また集団の中に生きる。

そのなかでどうにもならない事態に直面してきた。

それは大規模な自然災害かもしれないし、戦争かもしれない。あるいは個人的な事件、事故かもしれない。

このような自分の努力だけではどうにもならない、圧倒的な力や大きな流れ(運命)を感じて生きてきた。

 

人は理不尽な出来事が起こると、それが全くの偶然な出来事だったとしても、そのショックを受け止めようと、納得できる答えを求める。

○○だったから△△になった、というように。

この解釈に便利な存在が、絶対的な存在=神なのだ。

絶対的な存在は、それ以上の議論をさせない効果がある。

説明できない疑問に対しては、神の意志だ、神が決めた、としておけば、それ以上の説明をする必要がない。

 

現代においては、自然は計算可能で予測を行うことができるし、自然災害を含む自然現象も究明が進んでいる。それをまだ理解できていなかった古代の人間にとっては、もはや絶対的な何かがそうさせたとしか、考えることができなかった。

例えば、火山の噴火や大地震は神の怒りによく例えられる。

これによってもたらされた不幸を天罰と呼び、

そんな理不尽な不幸な目にあわされた理由を探す。

信心が足りなかった。神への感謝が足りなかった、修行が足りなかった、と。

理不尽な不幸は、絶対的な存在である神から与えられた試練や罰であるという考え方は、精神的なショックを伝統的に和らげてきたのである。

 

なぜ宗教が必要だったのか

・感情的衝動とその自制

集団生活には、ルールが必要であるが、人間の持つ感情的衝動と相反する場合がある。

このため、感情的衝動の自制という問題は、今後も人類が抱える課題である。

この感情的衝動に基づく欲望は、多様で、かつ危険な側面がある。

例えば、人間にとって性欲は、生物の三大欲を基盤とした強力な衝動であり、この欲望のままに人間がそれを行使した場合、社会は乱れたものになる。

個人の自律が乱れれば、それは社会の基盤を揺るがす事態になる。

そして社会が乱れれば、治安の悪化はもちろん、反道徳的な社会集団となり、とても住みにくい環境を生む。

欲望のままに不満を満足させたいと願う気持ちは誰もが持ち合わせる感情であるが、これをそれぞれ個人が実行してしまえば、平和な暮らしは遠のいていく。

 

そこで宗教というルールが必要になる。

人間は民衆にルールを守らせるために、神の威厳を利用した。

神の意志により、○○をしてはならない。という縛りがあれば、これを守ることで社会が安定化に向かうのである。そのルールを守らなければ神の意志を無視したこととなり、地獄で苦しむことになる。という脅しが付く。

こうして個性バラバラな民衆を社会としてまとめるために今でも役に立っているのだ。

 

・苦しみの緩和

なぜ生きることは苦しいのか、という永遠の謎や、理不尽な不幸に見舞われたとき、

それは神がそう決めた、としておけば、どんな理不尽なことにも納得せざるを得なくなる。

 

我々は神に直談判できないのだから、「神がそう望むなら、神がそういったから、仕方がない。」と、もはや納得というよりも、諦めなければならない。

諦めるということは、いつまでも納得できないことを悩み続けるよりも、生産的である。

一旦諦めることで、人間の気持ちというものは再スタートを切ることができる。

実は、神という絶対的な存在のせいにすることで、仕方がないことを仕方がないものとして認識させ、無駄な労力を省くことに成功している。

しかし、そこにはいつか救われるというフォローも含まれる。

それが現世なのか、あるいは来世なのかは、宗教によって異なる。

 

・儀式と祭り

定期的な大きなお祭りや儀式には、たくさんの人が集まる。

これは広い避難所の整備や、交通の整備に貢献しており、自然災害などの有事の際に備えたものだ。

また周辺住民の人数の把握や、結束を確認することにも役に立っている。

周期的に行うことで、普段忘れがちな神への感謝の気持ちを思い出させ、現在生きていることのありがたみを認識させてくれる。

また慰霊祭はむしろ故人を静めるお祭りというよりは、今を生きるものの気持ちを静めるという意味が強く、一種のストレス解消である。

このようにお祭りや儀式は単なる集会ではない。

これらには、たくさんの意味と役割があり、古来から伝わる習慣化された社会的活動なのである。

 

その後の宗教

宗教とは、土地や人種に根付き最適化されたルールの集合体である。

古くから残っているユダヤ教やキリスト教、イスラム教、仏教は、その教えが素晴らしいから現代にまで残っていると考えられがちであるが、これは違う。

その宗教が発生したその地域、人種に最適な考え方だったからこそ、現代にまで残ることができたのだ。

つまりこれまで無数の多種多様な宗教が生まれては消えたのだが、その時代にその地域に共同体を維持することに成功したまれなケースだっただけだ。

 

例えば、キリスト教が禁じる一夫多妻制は、砂漠地方に根差し、最適化された社会維持システムである。

砂漠地方は、地中の栄養源に乏しく、慢性的な亜鉛不足である。

つまり子孫を残せる確率が低い。

その地域で一夫多妻が推奨されていれば、子孫を残す確率を上げ、社会の維持に貢献できる。

もしここで、キリスト教のように律儀に一夫一婦制を宗教が推奨していた場合、おそらくその民族は滅んでいただろう。

 

このように、数々の宗教が生まれたが、それは地域と密着した関係をもつ。

湿潤な地域には、そこでの社会維持に適した戒律が、

乾燥した地域には、そこでの社会維持に適した戒律が、今もなお守られている。

その地域の社会生活を送り、平和に暮らすいわば生活の知恵とも言えるルールやそこに至る考え方の集合体が宗教であり、経典であり、それを伝える僧侶、学者が存在してきたのである。

 

日本の場合

日本には仏教が根付いているが、実はもっと日本人に根差した考え方がある。

神道がその一つである

日本に根付く神道は、自然そのものや自然現象など我々を取り巻くすべて(森羅万象)に神を見出した多神教である。自然への感謝や敬意が宗教になっているのは、世界中に存在するが、日本もそのうちの一つである。

山や海、また偉人などを神とし、これを祭る神社は、我々の身近に存在し、今なお共同体を見守る存在である。定期的に行われる祭りは、自然や個人に対する感謝の気持ちを思い出させ、共同体の運営にも役立つものだった。

 

もう一つが、天皇という存在である。

天皇が国民の平和を願い、また不可侵な存在であるという思想が現代においても日本人の精神的支柱であり続けている。

この日本の基軸が存在したおかげで、日本国民はまとまることができた。

1000年以上前から天皇を中心とした中央集権政治が取り入れられ、バラバラになることを防ぐことができたのである。

 

まとめ

宗教も神も絶対な存在であるが、一歩引いて考えると、見えてくるものがある。

宗教の必要性、その効果、どのような経緯で現在も語り継がれているのかを考えれば、集団生活の存続にとって宗教は不可欠なものであった、またこれからも必要であり続けることが理解できる。

このような斜め視点からのものを考えてみることも、人生を生きていく上で大切である。

宗教であろうと、神の意志であろうと、盲信にはリスクを伴うからだ。