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言語化│言語化しなければ認識できない

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街中にあふれる広告には魅力的な文句が踊っている。

また、会議や会話、メールでは活発に意見が交換されている。

そして、これらはすべて言語を介して行われる。

目に見える全てには名前が付けられており、目に見えないもの、感情や雰囲気も実体はなくても近い表現を選択し、表現している。

このように人々は、言語で作られた空間で生活している。

しかし、身の回りにあるものすべてに名前が付けられ、表現しきれていると言えるのだろうか。

 

見えるものと見えないもの

何気ない風景でも目の前に広がる空間には、名づけられたもので視界はいっぱいだ。

パソコン、壁紙、時計、同僚の○○さん、窓、雨雲…

そのどれにも名前があるばかりでなく、色や硬さなど異なる視点から捉えなおしても、何らかの名称や形式名で指定できる。

名前がついているものは目に見える者だけに限らない。

目に見えないもの、形のないものにも名前がついている。

例えば、目の前の空気という存在にも、科学的な元素記号だけでなく、距離や雰囲気や間合い、という表現がある。

このような感覚的な概念にも名称が与えられている。

これらは人類の長い歴史の中で、科学者や芸術家、その他の先人たちが研究や表現しようと努力を続けてきた結果である。

 

しかし、どんな事象も表現しきれることはない。記号化(言語化)にも限界がある。

実際のコミュニケーションの際は、便宜上、最もそれを表現するのに近い表現を選択しているだけに過ぎず、交わされる言語は正確に表現できているわけではない。

会話というものは、それほど大まかなやり取りでしかない。

また、国や文化によっても言葉の概念は微妙に異なるばかりか、自国にある言語は他国には存在しなかったりする。

 

記号化(言語化)の効果

ある対象に対して、名前があることで改めて理解が深まり、輪郭が明確化する。

 

①区別ができる

名称が与えられることで、意味や存在が異なることを知ることができる。

「異なるが似ている」という認識と、「似ているが異なる」という認識では、天と地ほどの差がある。

例えば、毎年、秋になると自生しているキノコを食べて食中毒を起こす人がいる。

彼らは自前の知識で食用キノコと思い込んで、と食したはずなのだが、

似ているけども異なっていると認識できていれば食中毒を起こすことはなかったはずだ。

 

②表現がより正確になる

それまで何となく感じていたこと、抱えていたモヤモヤ、つかみどころのない「何か」に対して、認識できるようになる。

仮に「甘い」と「酸っぱい」しか知らない人が、初めてパイナップルを食べたとする。

そして、そのおいしさを表現しようとしたとき、この果物はおいしいのだが、これは「甘い」のか「酸っぱい」のか、どちらなのかと迷うだろう。

一方「甘酸っぱい」という概念を知っている人は、初めてそれを食べたときの感動は、「甘酸っぱい!」と表現できる。そしてその概念を知っているもの同士で感動を分かち合えるだろう。

このように表現が正確になるほど、議論がしやすくなる効果もある。

 

課題への認識(見える化)

概念だけでなく、課題に関しても同様である。

人間は見えている課題への対処は得意だ。

病気になれば病院に行くし、貯金が少なければ節約する。

一方、課題を認識できなければ、対処するかどうかの判断さえしない。

身近に存在しない問題への関心は薄いし、身近にあっても目に見えない問題はいつの間にか、その重要性を忘れてしまう。

のど元過ぎればなんとやら、などと言われてきたように、見えないものに関しての認識や関心は、

そもそも無いか、時間の経過とともに薄れていく。

この習性を逆に利用したものが、遺跡や墓、記念碑や祭りや伝承といった形での再認識である。

これらの遺産は、忘れてはならない、忘れたくない思いや教訓を現在まで語り継ぐ人間の知恵なのである。

 

見えないことによる問題

課題は見えることによって、認識できるようになって、初めて対処が可能になる

このため課題の見える化は重要である。

逆に言えば、課題は認識できるまで潜在的な問題は放置されたままであり、個人や団体と共存し続ける。

そして見えないために、課題発生の前兆に気付かず、いつの間にか事件や事故に巻き込まれていたり、課題が表面化してから慌てることになる。

 

個人的な悩みにもこれが当てはまる。

なんとなくうまくいかない、良くないと思いながらもその状態がズルズル続く。

このようなモヤモヤをそのままにしていては、課題が見えないためにつかみどころがなく、いつまでたっても自分のコンプレックスや、苦手な部分を解消できない。

課題は認識できなければ、解決への着手ができない。

状況がズルズル続いているのは、課題を言語化できていないからである。

しっかり現状を分析し、課題を言語化することからすべてが始まるのである。

 

言語化するということ

しかし、言語化するということは、もはや発明に近い作業である。

それは、それまでに価値がなかったものに価値を与えるということでもある。

まるで存在を予見し、それを実験的に存在を検証しようとする科学者のようだ。

言語化できた瞬間というのは、大発見なのだ。

大発見という表現は決して大げさではない。

その人の歴史の転換点になるほど、大きな力を秘めている。

 

課題の発見は、それだけで課題が解消される可能性さえある。

新たな課題の認識は、その人の意識を変化させ、思考の内容にまで影響する。

そして思考の変化は行動の変化として表れ、その積み重ねがそれまで敷かれていた人生のレールを曲げていく、というわけだ。

 

どうしたら言語化できるのか

発見や発明は祈っていてもやってこない。積極的な姿勢が必要だ。

小さなことの積み重ねが、いずれ大きなものをつかむ。

言語化という作業は、ある日突然ひらめくものではなく、努力してヒントを集め、糸口をつかみ、たぐり寄せる地道な作業の連続だ。

その集大成としてやっと見つけるものである。

 

しかし特別な準備はいらない。怪しい合宿に参加する必要も、怪しい壺を買う必要もない。

紙と鉛筆があればいい。

メモをすることでこれに近づく。気分は科学者だ。

紙と鉛筆の準備ができたら、頭に浮かんだ言葉を思いついたものから順に書き出していく。

メモすることで脳内の雑多な情報が整理されていき、書き出される言葉はだんだん洗練されたものになっていく。

これを続けていけば、いつか真理(言語化)にたどり着ける日が来るだろう。

 

そのときはじめて自分の敵と対面することになる。

しかし、戦い方はそれまでと比べて格段に簡単になったはずだ。

なぜなら、見えない敵から、見える敵になったからだ。

 

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