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なぜ宗教は必要なのか|人間と宗教は持ちつ持たれつ

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人生を長く生きていれば、様々な出来事に遭遇することになる。

嬉しいことや楽しいことなら特に悩むことがないわけだが、中には歓迎できない出来事もある。

例えば、自然災害に見舞われ大切な人や財産を失ったり、偶然に不幸な事件に巻き込まれたりする。

 

この必然性を全く感じない、突然の不幸に対し、

「なぜ自分がこんな目に合わなければならなかったのか」「どうしてこんなに不幸なのか」

と、この理不尽な出来事に対する整理のつかない複雑な気持ちが頭を支配する。

 

神はこうした不幸から我々を救ってくださる。

神は我々の解決できない悩みや苦しみから解放し、人生の充実を約束する。

…しかし、その神を作ったのは人間であった。

 

なぜ神が存在したのか

昔の人々は、現代人よりもはるかに多くの悩みを抱えていた。

科学が未熟な時代の自然災害の予測は、学者の勘に頼ったものであっただろうし、医学も未熟で死の恐怖は常に身近に存在した。

このように、人間は「自然」に対してあまりに無力であり、完全に受身であった。

 

悩みは自然に対するものだけではない。

社会の中で生きていく限り必ず人間関係の摩擦は生じるし、時には事件も発生する。

学術的な研究もまだ不十分なため、解明できていることも少なく、世の中は理解できない現象ばかりであった。

 

そうした中で気持ちの整理をする手段として便利な概念が発明された。

その概念こそ「神」である。

 

「神」は「絶対」である。

この絶対的な存在にすべて責任を押し付けてしまえば、一旦の気持ちの整理をつけることができたのである。

突然の自然災害も、突然の死も、どんなに理不尽な目にあっても、どんなに研究してもわからないことも全て神の意志によるものだとすれば、納得せざるを得ない。

 

この一旦の納得をすることによって、人間は収まることのない胸のザワザワ間や頭のモヤモヤ感をクールダウンさせ、冷静さを取り戻すことができる。

例えば人類永遠のテーマである「我々はどこから来たのか、我々は何ものか」という疑問に対しても、「神が創られた」としておけば、一応の心理的な決着がつく。

 

突然訪れる不幸や死に対しては、神への感謝が足りなかった、信仰が足りなかった。

と無理矢理な決着をつけることで、それこそ理不尽でありながらも、精神的なショックを和らげてきたのである。

 

神は悩みを解決する存在ではなく、悩みによる苦しみを緩和する存在として、今なお信仰の対象となっている。

 

なぜ宗教が必要だったのか

社会の維持

宗教は社会の維持に非常に貢献した。

社会の維持には、人々の欲望を抑制する必要がある。

 

人間の持つ欲望は多彩だ。

こうした反社会的な欲望の自制を促すためには、絶対的な存在である神はうってつけだった。

絶対的な神が定めたルールがあれば、従わざるを得ない。

もし欲望に負け神の意志にそぐわなければ、死か地獄行きの大小が与えられる、とされた。

神官たちは、人々に強い信仰心とを求め、神への信仰心は社会の秩序を維持したのだった。

 

もし、全員が欲望のままに生きていれば、社会は機能せず破滅する。

個人の自律の乱れは社会の乱れを産み、治安の悪化はもちろん、反道徳的な社会集団となり、とても住みにくい環境になる。

そして平和な暮らしは遠のいていく。

 

こうして宗教は人々の信仰心を高めることで、結果的に社会の維持あるいは人類滅亡を防ぐことに貢献したのである。

 

コミュニケーションの維持

宗教的な習慣として、定期的な宗教施設への参拝がある。

この習慣は、人々に生活のリズムを与え周辺住民との交流を維持した側面もある。

 

こうしたイベントには、たくさんの住民が集まる。

そしてたくさんの人々が交流することで、情報や物などが盛んに行き来し、社会の発展の基盤となった。

表向きは宗教行事ではあるが、様々な社会的意義が含まれている。

たくさんの人が往来可能な道路を整備することで土木技術が発達し、人が集まれる場所は自然災害時の避難場所として機能した。

 

もちろん宗教行事を行うことで、忘れがちな神への感謝の気持ちを思い出させ、現在生きていることのありがたみを認識させてくれる。

 

このように宗教的な行事は、単なる集会ではない。

これらには、たくさんの意味と役割があり、古来から伝わる習慣化された社会的活動なのである。

 

世界の宗教

古くから残っているユダヤ教やキリスト教、イスラム教、仏教は、その教えが素晴らしいから現代にまで残っていると考えられがちであるが、これは違う。

その宗教が発生したその地域、人種に最適な考え方だったからこそ、現代にまで残ることができたのだ。

つまりこれまで無数の多種多様な宗教が生まれては消えたのだが、その時代にその地域に共同体を維持することに成功したまれなケースだっただけだ。

 

例えば、キリスト教が禁じる一夫多妻制は、砂漠地方では今なお続けられる制度である。

しかし、この制度は先進的ではないわけではなく、れっきとした理由がある。

砂漠地方は、地中の栄養源に乏しく、慢性的な亜鉛不足である。つまり子孫を残せる確率が低い。

一夫多妻制はこうした問題を解決し、社会を維持してきた伝統的な制度なのである。

だから単純に各宗教の持つ制度を比較して議論することは、本質を見落としている可能性がある。

 

このように、数々の宗教は地域と密着した関係をもつ。

湿潤な地域にはそこでの社会維持に適した戒律が、乾燥した地域にはそこでの社会維持に適した戒律が、現在に至るまで守られているのである。

つまり、宗教とは、その地域の社会を維持するために最適化されたルールの集合体なのである。

 

日本の宗教

日本には世界に類を見ない不思議な宗教観がある。

神道と仏教の共存である。

 

日本には仏教が根付いているが、新党はもっと前から人々の間で信仰されてきた。

日本に根付く神道は、自然そのものや自然現象など我々を取り巻くすべてに神を見出した多神教である。

自然への感謝や敬意が宗教になっているのは、世界中に存在するが、日本民族も例外ではなかった。

 

山や海また歴史上の偉人などを神として祭る神社は、我々の身近に存在し、今なお共同体を見守る存在である。

定期的に行われる祭りは、自然の恵みやおそれ、あるいは故人に対する感謝の気持ちを思い出させ、地域住民のコミュニケーションの場として社会の運営にも役立つものだった。

 

そして忘れてはならないのが、天皇という存在である。

不可侵な存在であり、国民の平和を願う天皇の存在は、現代においても日本人の精神的支柱であり続けている。

この精神的支柱が、2000年以上国家がバラバラになることを防いできたのである。

 

まとめ

神とはそれ以上踏み込むことができない絶対的な存在であるが、一歩引いて考えると、いろいろと見えてくるものがある。

 

人間とは不完全な生き物である。それゆえに神が必要とされた。

そして神の存在を前提としたものの考え方が、習慣を作り、社会の維持に様々な形で貢献してきたのである。

そしてこれからも神や宗教は、人間の精神的なよりどころとなって存在し続けるだろう。

 

ただし、絶対的な存在への盲信には注意が必要である。

いつの時代も自分でものを考えない人間は、神を語る者に身も心も支配されてしまうからだ。

 

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