我々はいつか死ぬ。
そしてこの地球もまた、いつか姿を消す。
この当たり前の事実を、忙しい日々を送る我々は忘れがちである。
なぜなら、我々の人生はとにかく目の前の課題を解決することで精いっぱいだからだ。
勉強と入試、就職と出世、結婚と子育て、老後と健康…
そして、人生の意味を深く考える間もなく、あっという間に人生を終える。
自分の人生とは一体何なのか。どんな意味があるのか。どう生きるべきか。
その答えを探るためには、過去を振り返り、自分という存在がどんなものなのか知らねばならない。
そして長い宇宙の歴史の中で自分という存在が一つしかないこと、生命のバトンを受け取った最前列にいることを自覚しなければならない。
目次
地球の始まり
明確な定義は不明だが、原始地球と呼ばれる地球の基礎ができた時期は46億年前とされている。
その後も原始地球は微惑星との衝突を繰り返し、マグマが形成され、大気が形成され、やがて海が誕生した。
この時の地表の様子や、大気の組成、海の様子は、現在の地球とはまるで別モノで、少なくともこの時代に人類がタイムスリップしても、とても生存できる環境ではないものだ。
生命の誕生と命をつなぐ戦い
生命の起源も人類が抱える偉大な謎の一つであるが、40億年前とされている。
以後、時間の経過の中で細菌が誕生し、後の植物やさらに複雑な構造の生物を生み出す基礎となった。
地球の環境も活発に変化している。
海や大気の組成の変化、大陸の移動、繰り返される氷河期と温暖期。
ときには全体が氷に覆われた時代(全球凍結)もあったようだ。
このような環境の変化は、その時代に生きる生物に試練を与えた。
特に劇的な変化においては壊滅的な被害をもたらした。大量絶滅である。
しかし生物たちはタフに生命をつなぎ続けた。
その結果が現在の地球に生きる植物であり、動物であり、我々人間なのである。
つまり、我々がいま生きているということは、
過去の生物たちが死に物狂いでつないできた命のバトンを歴史の最前線で受け取ったということなのである。
地球の現在
人類は今の環境に適応しているだけ
勘違いしてはいけないのは、地球は人類の生存のために46億年かけて快適な環境を整備してきたわけではない、ということである。
我々の生命活動に必要不可欠な水や酸素の存在は、人類やその他の生命のために存在しているのではなく、水や酸素が存在する環境に生物が適応(進化)し続けた結果に過ぎない。
生態ピラミッドは結果論である
生物の多様性や食物連鎖を話題にするとき、よく生態ピラミッドが引き合いに出される。
生物の個体数はバランスよくピラミッド状に保たれていることを挙げ、自然界がその見えざる大きな力によって、これを保っているような意見が聞かれるが、これは勘違いだ。
バランスを保つために、ピラミッドの底辺に近い種ほど個体数を増やし、その頂点に近い種ほど個体数を少なくしているわけではない。
結果論としてそうなっているだけである。
仮に一時的にこのバランスが崩れたとしても、長い時間をかけて、やがてピラミッドの形に収束していくだけの話である。
今なお全生物は進化の最中である
生物は非常に多様だ。それぞれが進化の過程にあり、緩やかな環境の変動に適応し続けている。
もし地球の環境の変化があまりにも急激でかつ激しかった場合、今ごろ地球上には生物が存在しないか、ごく少数の微生物しかいない惑星であっただろう。
環境の変化への適応は、時間をかけて行われる。子孫を残し、生と死を繰り返す中で形態が変化していく。
しかし、環境の変化や生物の進化の変化量は、人類の寿命や歴史から見てあまりにも小さく、それに気づくことはない。
地球に生まれたことの意味
人生は一瞬で希少である
地球の寿命は全部で100億年程度と言われており、我々が生きているせいぜい80年という期間は、地球の歴史や宇宙の歴史から見てあまりにも短い。
さらに、現在の地球には非常に多種多様な生物が生息しているが、自分という存在は地球上で同じ時代に生きる膨大な数の生命の中の一個でしかない。
つまり、我々の生命はこの地球という大自然の中で、ほんの一部の時間と空間を間借りしているに過ぎないのだ。
また我々は、自然の力を前にひれ伏すしかないほど無力であることを忘れてはならない。
自然界に生きるものとして当然のように我々の生命も自然の法則に支配されており、生命の制約がある。
つまり、いつか必ず死ぬ時が来る。
これが地球に生を受けた我々の宿命である。
それでも自分の人生に意味を持たせ、生を存分にかみしめて生きることが大切である。
それでも生きる
地球の長い歴史と膨大な質量から見て微小な存在の我々の存在意義は、もはや無視できるほど小さなものでしかない。
つまり、個人の人生がどんなに道徳的なものであっても、どんなに非道徳的なものであっても、あるいは充実したものであっても、怠惰なものであっても、地球の歴史から見てほとんど意味のない行いなのである。
それでも「生きる」のだ。
たとえ自分の一生が一瞬で消えてしまうものであっても、与えられた「生命」を懸命に全うすることが、生物としての務めなのである。
かつての生存競争を戦い抜いた我々の祖先が命のバトンをつないだように、我々もまた懸命に生きなければならないのではないだろうか。
地球の未来
人類はいつか絶滅する
人類も永遠に生存し続けることは不可能だ。
どんなに人類が束になって知恵を絞り、どんなに膨大なエネルギーを確保できたとしても、いつか人類は環境の変化に適応しきれず、いずれ緩やかな滅亡を迎える。
そして、そのあとは誰も気にも留めない存在でしかなくなる。
これが地球に生を受けた種の宿命である。
地球もいつか消えてなくなる
太陽の活動の収束により、地球はいずれ太陽と共に最期を迎える。
長い地球の歴史の中で、生命は環境の変化に適応しようと懸命に生と死を繰り返した。
大規模な火山活動や隕石の衝突による大量絶滅という極端な例もあったが、生命はそのたびに復活を遂げ、地球からすべての生命が途絶えたことはない。
やがて誕生した人類は、自分自身(人類)を理解しようとあらゆる文化的活動が行われ、複雑に発展し、これを後世に伝えようと努力した。
しかし、このような様々なドラマを繰り広げた地球という舞台は、太陽の寿命が尽き巨大化する太陽に飲み込まれ、歴史から姿を消す。
まとめ
我々はこのような地球の歴史の中で、一瞬だけ生きることを許された。
地球というあまりに大きい存在を意識したとき、我々はあまりに小さい。質量的にも、時間的にも。
しかしどんなに小さくても大切な存在であるという論理を、あなたは矛盾せず受け入れられるだろうか。
この問いかけに対する答えが、あなたの人生に表れるのである